少年デュラハン

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 天から降り注ぐ雨が暗い地表を濡らす。埃っぽいアスファルトの上でこまかく跳ねるたびに、むせるような雨の匂いがたちこめる。
 まだ東の空が白むまえの未明。オフィスビルや商業施設が立ち並ぶ駅前通りとは垂直に交わる歓楽街通りを、おれはとある場所に向かって歩いていた。
 夜と朝が切り替わろうとする中途半端な時間帯だからか酔客を待つタクシーもまばらで、いくつも並んだ飲食店や居酒屋のうち、すでにシャッターを閉めている店も多い。雨にけぶり、ぽつりぽつりと灯る看板の明かりも、もうすぐ消えるだろう。雨の音だけが湿った空気にまじり、街中にひろがっていた。
 ブーツが水溜りを踏みつけるたび波紋をつくる。この道を歩くのは久しぶりだ。
 カナデを殺せないと気付いた昨晩、おれは病室を出てからずっと考えていた。死の運命を覆し、あいつを生かす方法を。
 過去は変えられなくとも、未来は変えられる。鬱蒼とした気持ちを前向きに切り替えると、いくぶんか心が軽くなった。どんなに絶望的な状況でも足掻いてやる。
 ただし、友人のときと同じ末路を辿らないようにしなくてはいけない。罰を覚悟で職務を投げうち友人を助けるという消極的な方法で、結局はあいつを失ったんだ。もう職務放棄はできず、かといって遂行することもできない。しかし、カナデとおれが生き残るためにはどちらもしなくてはいけないという二律背反。
 そこでまず思い付いたのが、妖精王オベロンへの直談判だ。
 オベロン王は遠く北欧の妖精国に居城を構えてはいるものの、王専用の特殊なメッセンジャーを通せばほぼリアルタイムで離れた土地からも謁見できる。相互の会話がしたいとき、メッセージをやり取りするよりも効率がいい。
 しかし妖精王がたかだかその他大勢のいち妖精でしかないおれの懇願をすんなり受け入れるとは思い難い。人間ひとりの運命を覆す理由が、王のほうにはないからだ。完全におれの、いわば超個人的なわがままともいえる要求になってしまうわけで、それを押し通すのはいかにも難易度が高い。
 王はどこか飄々としてつかみどころのない性格をしている一方、規律には厳しいのだと噂に聞いたことがある。故郷にいたころ城に出向いて職務上の指示を受けたことは何度かあるが、仕事以外で会話らしい会話をしたことはない。立場が違いすぎるというのもあるけど、オベロン王はその軽妙な性格とは裏腹に、有無を言わさぬ圧のような迫力を持っていた。本能へ直に畏怖を植え付ける類の静かな存在感。透き通る碧眼と白銀の髪は、凍てつく冬の海を連想させる。はっきりいって苦手だ。つーか、苦手じゃない妖精なんているのか?
 これとは別にもうひとつ思いついた方法がある。
『妖精の契約』だ。妖精と人間が契りを交わせば死の運命すら覆すほどの大きな力を人間側に与えることができる。
 しかしこれは諸刃の剣なのだと、嫌というほど知っている。たとえおれが覚悟を決めてもあのカナデが承諾するかと言えば……まあ、無理だろ。ぶっちゃけ契りって性行為だし、なにより人間を加護する力と化した妖精の本体はきれいさっぱり消滅してしまうのだから。他者から支えられることにすら罪悪を感じて萎縮するカナデは、こういうの一番嫌そうだ。そもそもこれじゃ過去の繰り返しになる。自己犠牲じゃ何の解決にもならない。
 考え込んでいると、唐突に数週間前の出来事を思い出した。おれとバンシー……妖精同士で対峙し、ついには敗れたあの戦い。あいつもまた、とある人間を生かそうと自ら妖精の契約を提案し、命を狩る存在から身を挺して守ろうとしていた。
 あの二人からはずいぶん憎まれただろうな。王の命令を受けずに行動するバンシーからしてみれば、おれたちデュラハンが死の運命を操っているようにみえるのかもしれない。でも実際に死の運命を動かしているのは神々や妖精王の領域であり、おれたちはあくまで王から与えられた命令を淡々とこなしているだけだ。それを外野に邪魔されるいわれはないし、無駄に情けをかけても変わらぬ死の未来に絶望するだけなら、いたずらに手心を加えたりなどしない。一度定まった死の運命は不変なんだから、当然だ。
 ……数日前までは確かに、そう思っていた。
 なのに今は、あのバンシーと同じことをしようともがいている。ああ、なんだ、嗤えないな。あいつのこと。
 自嘲したい気持ちをぐっと堪え、足早に暗い道を進む。とにかくあれこれ考えていても仕方がない。時間は有限、行動あるのみだ。
 歓楽街の中腹にある細道を曲がり、さらに奥へと進んでいくと、そこに『メルクリウス』というバーがあった。
 モダンというかシンプルというか、はっきり言えば徹底して無機質なその外観は、壁から屋根、ドアや窓枠にいたるまですべてが黒い。ドアの傍らに掛けられた小洒落たランタンに、筆記体でクローズと書かれた小さな板が下がっていなければ、もはや店かどうかも怪しい。
 おれはその店の入口に立ち、迷わずドアノブに手を掛けた。途端、消えていたはずのランタンがぼんやりと薄緑色に点灯し、カチャリと鍵の解ける音がした。
 音を合図に淡々とドアを開ける。店内は外と同じくらいに暗く、足元すら覚束ない。
 暗闇の奥、品のよいバーカウンターに置かれた瀟洒なオイルランプが、カウンターの向こう側に佇むひとりの男を仄かに照らし出していた。ぱりっとした長袖の白シャツの上に黒いベストを着て、腰には黒いストレートパンツにロングエプロンを巻いている。すらりとしたバーテンダーの男は、たおやかな動作でこちらを見た。灯火をうつし金色にひかる目がすっと細められる。
「いらっしゃい、お久しぶりですね」
 丁寧な挨拶に対し、ああ、とぞんざいに返事をしてカウンターに近づく。暗い店内に響くのは、雨が屋根を叩くノイズと、一歩踏み出すたびにつま先に鋼鉄を仕込んだブーツが床を蹴る、低い足音だけ。ふと、カナデの病室を思い出した。
「今日はお酒ですか、それとも……」
「仕事以外でここに来たことねーだろ、メッセンジャー」
 言いながら、カウンターの一席に腰を下ろす。このカウンターチェアはおれにはちょっと高いのか、座ると足先が浮いた。
「はは、そうでしたね。でも、いつも飲んでいかれるじゃないですか」
 バーテンダーことメッセンジャーはおれがいくら軽口を叩こうと動じないのをよく知っている。切れ長の目をさらに細めて笑うと、狐みたいだなと思う。金髪に金眼だから、余計にそうみえるのかもしれない。
「そりゃさ、酒だけは美味いからな」
「珍しく褒められましたね……。光栄ですよ」
「おまえなぁ、慇懃無礼って言葉知ってるか?」
「ご勘弁を。これが私の地だとよくご存じでしょう」
 ぺらぺらと調子よく言葉を紡ぎながらも、慣れた動作でカクテルを作るメッセンジャー。上下に振られる銀のシェーカーが小気味よい音をたて、青く透き通った液体がクラッシュアイス入りの背高なシャンパングラスに注がれていく。
「どうぞ」
 差し出されたグラスはランプの光を透かす青い液体に満たされ、さながらどこまでも透明な海か、湖のようだった。砕かれた氷の粒が涼やかに浮かび、ピンに刺して飾られたレモンとチェリーがカクテルを鮮やかに彩っている。
「こちらはブルー・ラグーンという名のカクテルで、そのまま『青い湖』という意味です。こんな雨の日ですからね、気分がすっきりするものをと思い、選びました」
 シャンパングラスを傾け、ひとくち飲んでみる。酸味のあとにくる甘さが氷で冷やされ、さっぱりとして飲みやすい。アルコールの風味はそれほどきつくなく、言葉の通りに見た目も味もすっきりとしたカクテルだ。
「やっぱ美味しいな」
「丁寧な仕事を心掛けていますからね」
 素直にほめると、メッセンジャーは目を細めてにこりと笑んだ。
 グラスの中身をすべて飲み干し、いよいよ本題にうつる。最初にも言ったが、そもそもここに来たのは酒を飲むためじゃない。
 メッセンジャーはその名の通り、遠く妖精国にいるオベロン王の姿をその身に投影して、リアルタイムで双方を繋ぐ能力を持っている。だいたいいつもは仕事の結果報告をするときにここへ来て、通信していた。
 今回は違う。カナデを生かすために最初に思い付いた方法を実行するためで、つまるところ、王への直談判だ。
「謁見の時間は大丈夫だな……。それじゃあメッセンジャー、いつも通りに頼む」
「かしこまりました」
 胸に手をあて目を閉じたメッセンジャーが蜃気楼のように揺らぎ、その身を徐々に変化させていく。おれは椅子から降りてその場で直立し、そのときを待つ。
 すべての変化が終わり、閉じていた目がゆっくりと開いた。銀色の睫毛がゆれ、冷たく澄んだ碧の眼があらわれる。さながらブルー・ラグーンのようだ。
 長く美しい銀の髪をもち、黒のロングコートを身にまとうその姿は、紛れもなくオベロン王だった。
 おれは右手を胸にあて、恭しくお辞儀をする。
「お久しぶりです、オベロン王」
「ああ、久しぶりだな。身体の調子はどうだ」
 低く落ち着いた声。気さくな話し方をしてはいるが、その奥に潜む氷のような冷たさが、肌をざわつかせる。
「おかげさまで、だいぶん良くなりました。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「そいつは重畳。で、どうしたんだ、今回は。任務完了の報告かと思ったけど、どうも違いそうだね」
「……」
 見透かされてる。まぁ、そーだよな。カナデはまだ生きてる。王なら遠く離れていても魂の気配くらいいつでも察知できるはずだ。ばれないわけがない。
 変に取り繕ったり隠し事をしたりしても無駄だから、おれは嘘偽りのない心のうちを話すことにした。
「実は……王に折入ってお願いしたいことがあります」
「へぇ、珍しいな。お前が物申すなんて初めてじゃないか。言ってご覧」
 さあ、と言わんばかりに片手を広げ、王は面白そうに口元をゆるめた。しかし目元が笑ってない。妖精すべてが畏敬する王の、底知れない威厳と重圧。実際に本人と対峙しているわけではないのに、勝手に心臓の鼓動が早まるのがわかる。でも、話さなくてはならない。そのためにおれは、ここへ来たんじゃないか。
 深く息を吐いて、おれは王の碧い双眸をまっすぐに見上げた。
「この度の任務についてです。ターゲットの人間を……あの男をどうか、王のお力で生き長らえさせてはくださいませんか」
 瞬間、王を取り巻く空気が急激に冷えていくのがわかった。ぞくりと肌が粟立ち、おれは短く息を詰めた。
「……なぜだ?」
 王の顔から笑みが消えた。真意を見定めようとする王の観察眼は殺意にも似た禍々しさを纏い、鋭いその切っ先を向けてくる。
 本能的な恐怖に晒され、体の奥から震えが湧く。両の拳を強く握りこむと、冷たい汗をかいていることに気がついた。
 これ以上話を続けるのが、怖い。
 だが、おれにナイフを突き付けられたときのカナデは……笑っていたはずだ。
 鈍る決心を奮い立たせ、視線を合わせたまま、重い口を開いた。
「おれにはあの人間を……カナデを、殺せません。身勝手な願いとは重々わかっていますが――」
 硬い床に跪き、頭を垂れる。戸惑う理由などなかった。
「――どうか、お願いします」
 遥か高みから見下ろす王の視線が体中に刺さる。無言の重圧が全身にのしかかり、今にも窒息してしまいそうだ。
 永遠のような沈黙を破って、やがて、わずかにため息をつく音が聞こえてきた。
「……よくある話だ。人間ほど感情豊かで見ていて面白い生き物はいない。我ら妖精は遥か昔から人間とは付かず離れず、共に生きてきた。情がうつってしまうのも、さもありなん、といったところか」
 まるで判決文を読み上げるかのような王の声。
「顔を上げなさい。お前を今回の任務から解いてあげよう」
 はっとして、おれは顔を上げた。ばくばくと心臓が高鳴る。希望の光が差し込んで、目の前が明るくなった。それは歓喜の気持ちに近かったに違いない。
「じゃあ、カナデは……!」
 王はにこやかに頷く。
「ああ。代わりに、別のデュラハンを向かわせる」
 ――歓喜は絶望の淵へと叩き落とされる。奈落の底へと。
「……あ……っ」
 ぐらりと、視界が歪んだ。
「情がうつったくらいで特別扱いなんて、簡単にはできないさ。それが命の定めというものだろう」
 バーカウンターを隔て、淡々と話す王の台詞が脈打つ心音と混じってぼやける。意味は理解できるのに、信じたくないという気持ちが勝って音を拒否している。
 これって、最悪の結果なんじゃないか。
「お前はいままで陰日向なく懸命に働いてきた。長めの休暇をあげるから、この機会に暫く休むといい。……じゃあな、愛しき我が同胞よ」
 待ってください! ……咄嗟にそう言おうとして、上手くろれつが回らないことに気がついた。それに、さっきからぐらぐらと眩暈が……。
 そうしているあいだに王は静かに瞼を閉じ、元の姿に戻っていく。長い銀の髪は消え、切りそろえられた金の髪……メッセンジャーが、ゆっくりと瞼を開けた。
「メッセン……ジャ……」
 もう一度繋いでくれと言おうとしても、体中に痺れが回って舌がもつれ、満足に動くことすらかなわない。
 ついに体を支える力すら消失し、床に崩れ落ちる。なんだこれ、王の能力なのか……? 動こうとすればするほど、悪寒がはしって脱力する。
 バーカウンターの向こうから見下ろす金の瞳が、にこりと笑った。
 ……狡猾な狐のように。
「お疲れ様です。あとは私にお任せを」
「……っ?!」
 ――いま、なんて言った、こいつ。
 メッセンジャーはバーカウンターから出ると、腰巻きの黒いロングエプロンを外した。そして、そっと右手を伸ばす。……エプロンの下に隠されていた、ナイフホルダーへと。
 床に這いつくばって見上げる視界が、絶望に次ぐ絶望に塗りつぶされていく。
「言っていませんでしたね。私もまた、デュラハンなんですよ」
 細身のナイフを見せつけるように半分だけ抜いて、メッセンジャーが言う。
 嘘だ。なんで、どうして。疑問が次々に湧いて破裂しそうなのに、もはや呼吸をするのがやっとで、動くのは眼球くらいだった。
「そんなに力んでも動けませんよ。特別なブルー・ラグーン、美味しかったでしょう」
 青く美しいカクテルが脳裏に蘇り、戦慄する。ああ、そうか……畜生。おれの体に起きている異変はあの酒、つまり自分の仕業だとメッセンジャーは暗に口にした。でもどうしてだ。おれが王と通信する前からこうなることを知っていたのか――。
 かろうじて意識はあるのに身体は糸の切れた操り人形のようにぴくりとも動かない。全身を重力で押しつぶされているみたいだ。
 このままじゃ、カナデが……カナデが、殺される……!
「すぐ終わらせてきますから、どうぞゆっくり休んでいてくださいね……」
 耳元で革靴の足音が止まった。足元に転がるおれを一瞥し、そのまま傍を通り抜けてドアを開け、メッセンジャーの姿が雨降る街へと消えていく。
 動け、動けよ、指先だけでもいい、じゃないと――。
 願い虚しく、ドアが閉まる音と同時に、視界がブラックアウトした。

 ――――――

 ――ねえ、デュー。僕の名前、覚えていて。叶えられる望みがあるとするのなら、それが僕の望む未来。僕が生きていたってきみが覚えていてくれたら、それでいいよ。

 ……よくないだろ、そんなの。

 ――きみは……デューは、きっと僕を忘れられないよ。きみは誰よりもずっと傷つきやすくて、優しいんだろうからね。

 ……馬鹿なこと言ってないでさぁ、わかってんなら……生きろよ。


 カナデ。

 ――――――
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