少年バンシー

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 ユキが言うには、死が訪れる日はわかっても、詳細な時間まではわからないのだそうだ。
 家でじっとしている気にもなれず、ユキと私は遠野さんの職場のすぐそばにある、大きな駅の構内を歩いていた。
 折しも連休最終日とあって、改札付近やコンコースは東西南北へ行き交う人々で混雑している。
 特に家族連れが多い。両手いっぱいの荷物を抱えたうえ、重そうなスーツケースを引いている両親の周りを、リュックサックを背負った小さな子供たちがついてまわっている。
「あのー、瀬戸さん?」
 後ろから声を掛けられて、私は振り返った。
「よかった、やっぱり瀬戸さんだ。こんにちは」
「遠野さん……。どうしたんですか、お仕事は」
 いつも見る制服姿ではなく、ラフなワンピースを着た遠野さんがそこに立っていた。つばの広い帽子をかぶり、右手で旅行用のスーツケースを引いている。
「わたしは今日から遅い連休なの。お昼過ぎの電車で実家に帰る予定なんだけど、ちょっと早く着きすぎちゃって。どうしよっかなーって思ってたら瀬戸さんっぽい人と、このあいだ瀬戸さんがきたときにお店にいた服装の子が見えたから、つい声かけちゃった。人違いじゃなくてよかった」
「そうなんですか。…………えっ。いま、なんて」
「ふふ、あのとき一緒にきてたなら紹介してくれてもよかったのに。……あれ、でも、男の子かな? はじめまして、遠野知佳です。瀬戸さんにはお仕事でいつもお世話になってます」
 遠野さんは屈託のない笑顔をユキに向けて、ぺこりと会釈した。あまりにも自然な動作で、私は二の句が継げないでいた。
「あっ……はい。はじめまして、ユキといいます……」
 ユキも目を丸くして、それでも丁寧にお辞儀を返した。
「ユキくん、素敵な名前だね。わたしのことは気軽にちかちゃんとか、ちぃちゃんって呼んで、ねっ。瀬戸さんは嫌がっていつまでたっても名字で呼ぶけど、なんだか他人行儀で悲しいじゃない。他人なんだけどさ」
 そう言って遠野さんは楽しそうに笑い声をあげた。
 彼女は私とはじめて会ったときもこんな感じだった。良く言えばフレンドリーで、悪く言えば馴れ馴れしい。それでも付き合いが続くうちに、意外と気遣いが細かく、世話焼きな面が見えてくるのだ。プライベートと仕事をきっちり分けているらしく、こんなふうにたまに街で会ったときは、普段よりずいぶんくだけた話しかたをするのだった。
 いいや、そんなことよりも。
「すみません、遠野さん。変なことを訊きますが、この子……ユキが、見えるんですか」
「んんー? それはそうでしょ、見えてるからお話ししてるのに。瀬戸さん、さては何か企んでたり……?」
「しませんよ……」
 私はもはや何に驚けばいいのかわからなくなり、ユキは相変わらず呆気にとられている。
 しかし、様子がおかしい。ユキは遠野さんではなく、もっと後ろを見ているような気がする。
「セトさん、あっち……」
 私はユキの言葉にはっとして、その視線の差す方向に目をやった。コンコースを行き交う雑踏の中に、あきらかに異質な空気が漂っている。
 やがてそれは黒い霧となり、すぐに人のかたちへと収束していった。
 その姿を忘れるはずがない。現れたのは、赤毛の少年――デュラハンだった。
「セトさん、逃げて……逃げてください!」
 ユキは私を後ろに押しやって、赤毛の少年を睨みつけた。
「え、ちょっと、ユキくんどうしたの。瀬戸さんも」
 赤毛の少年が大きく両腕を広げた。
「はは、おせーよ」
 直後、耳をつんざく高音が響いて、目にうつる風景すべてが灰色になった。物音が消え、せわしく歩いていた人々も、遠野さんも、石像のごとくぴたりと止まったまま動かない。
 まるでモノクロ写真のなかに放り込まれたみたいだ。
 そのなかで、私とユキと、赤毛の少年だけが変わらずに存在していた。
「――何をしたんだ」
「……次元移動です。時間の流れも場所も、まったく別の空間に飛ばされました。デュラハンの能力です」
 私の問いかけに答えたのはユキだった。モノクロの世界に赤い目がくっきりと映えている。
「おいおいバンシー、おれの説明するとこだろ。困っちゃうねー、出しゃばりはこれだからさぁ。お前までここに呼んだ覚えはないんだけどな」
 留め金が外される軽快な音がして、赤毛の少年はハンティング・ナイフを慣れた動作で抜き取った。手首の動きに合わせて、刀身が冷ややかに揺れている。
「気を付けてください、デュラハンの武器は命を吸い取ります。かすっただけでも致命傷になりますから。あと、セトさんは戦っちゃだめです。この空間でヒトは妖精に傷ひとつつけられないので……」
 灰色のマントがなびいて、やわらかな癖毛の先が無重力空間のようにふわりと逆立った。
「ユキ、やめろ。どうする気だ」
「最後まで抗います。それが、ぼくの答えです。……セトさん、あなたを守らせてください」
 そう言うと、ユキは微笑んでみせた。すぐに相手に向きなおり、いつもとは違う鋭い視線を向ける。
「はっ、狂気の沙汰だな。前から人間に感情移入しすぎだとは思っていたが、まさか邪魔しようとはなァ。マージでっざけんなよ、望みどおりお前の命から刈り取ってやるよ――」
 相手が身を屈めて戦闘態勢をとった。禍々しい殺意がユキを狙いさだめる。
「なぁ、バンシィ!」
 ひと息に地面を蹴り、跳躍する赤毛の少年。身構えていたユキの灰色のマントが生き物のように伸びて、うねり、向かってきた少年に襲いかかる。それはナイフを持つ右腕に巻き付いて、体ごと浮き上げるほどにきつく捻りあげた。腕があらぬ方向をむき、悲痛なうめき声が響く。少年はたまらず握ったナイフを手放した。落ちたナイフは地面にあたり、硬質な音をたてて沈黙した。
 ユキの意外な能力。赤毛の少年は苦悶の表情を浮かべ、獣のように牙を剥く。勝機があるように見えた。
 しかし――。
「ユキ!」
 私は反射的に叫んで、駆けていた。赤毛の少年がもう一方の手で、ベルトの脇に隠し持っていた小型のニードルナイフを抜き取るのが見えたからだ。
 その手が弧を描き、伸びるマントの影からユキに向かって、一直線にナイフが飛んでいく。
 ユキを庇うように伸ばした左腕の付け根に、焼け付くような痛みが走った。私は飛び出した勢いのままに倒れ、床に転がり伏せる。首を巡らせると、左肩に深々と刺さっているナイフが見えた。それはやがて、全身を蝕む鈍痛に変わっていく。
 ユキの悲鳴と、少年の笑い声が同時に聞こえた。
「セトさん!」
「あは、はははッ! やっぱりそうきたか。馬鹿なやつ、自分の命よりバンシーなんかを取るなんてさ」
 痛みと寒気の中で、ふたりの声が遠ざかっていく。かすむ視界に、赤毛の少年を開放したユキが駆け寄ってくるのが見えた。
「セトさん、どうして……っ」
 返事をしたくても、もはや声すら満足に出せなかった。
 ユキ。すまない、悲しませるつもりじゃなかった。でも、きみも言っていただろう。ほんとうに無力だったのは私のほうで、こうするしかなかったんだ。私を守るためにユキが傷つく必要は、はじめからなかったんだよ。
「ったく、当然の結末だっての。わかってたんだろ、バンシー。おまえじゃどうあがいてもおれには勝てないんだから、死の運命なんか変えられやしないってのをさ。契約しなかったんだろ? おまえがここにいるのがいい証拠だ。なのに無意味な抵抗しやがって……」
 ユキは私に触れて、泣いていた。その背後で赤毛の少年がせせら笑う。
「じゃ、これでおしまいだ。空間を解除するのと同時に、そこの人間は死ぬ。ごくろーさん」
 ふらつきながら、ユキはおもむろに立ち上がった。
「……デュラハン、お願いだよ。このひとの命をもっていかないで。だってぼくは、セトさんがいない世界なんて……」
 ユキの灰色のマントが、徐々に赤く彩られていく。それは血の海を思わせるほどに、深く鮮やかな赤だった。まるで、ユキの瞳のように。
「おいおい、まだやる気なのかよ。だから無駄だって言ってんだろ――」
 それは、あまりにも唐突だった。赤く染まったマントが羽のように開き、際限なく広がりはじめたのだ。ものすごい勢いで拡散し、白黒の空間をすっかり覆い尽くしてしまった。
 真っ赤に染まった空間のなかで、赤毛の少年は目を見開いてユキを睨んだ。
「てめぇ、バンシー! なんでこんな……ふざけんな!」
 いつの間にか拾っていたハンティング・ナイフをユキめがけて振り下ろす赤毛の少年。しかし、真っ赤な空間の四方八方から赤い触手のようなものが伸びてきて、目にもとまらぬ速さで少年の四肢を拘束した。さらに触手はいくつも増え、首や胴体にも容赦なく巻き付いていく。
「う、あぁああッ」
 赤毛を振り乱してもがくその様子を見ても、ユキはただ静かに佇んでいる。
「ねえ、お願いだから。ぼくの大事なひとを、うばわないで」
「なんでだよ、なんでだ! この空間でここまでの力が使えるのは……契約して妖精の加護を受けた人間だけだろ……なんで同族で契約もしていないおまえが! ッあああああ!」
 触手が赤毛の少年の四肢を様々な方向へゆっくりと折り曲げていた。子供が虫の羽を千切るように、ためらいなく。
「知らない、わからないよ。ぼくは、セトさんさえ守れるなら、それでいいんだ」
「ぐ……ああ、ああ、よーっくわかった。だがな、いまさらあのナイフを抜いたところで、遅すぎんだよ……っ。そんなにあの人間が大事なら、無理やりにでも……契約すべきだったんだ」
 ユキの中で、ぷつりと糸が途切れた。触手も赤い色もするすると収縮して、元のかたちに戻っていく。灰色の空間で、ユキはその場に力なく崩れ落ちた。
 今度こそほんとうに解放されて床に投げ出された赤毛の少年が、息も絶え絶えに起き上がる。半袖のシャツから伸びる腕には生々しい痣がいくつも浮かび、痛みのためか片膝立ちの体制で不安定によろめいている。
「いてて……はぁ……やってらんねぇ。おい、心気くせぇ顔やめろ……。これに懲りたらもう、人間なんかにこだわらないでひとりで生きろよ……おれみたいにさ」
 その言葉に敵意とは違った感情を滲ませているように感じられたのは、気のせいだっただろうか。
 言い終わるのと同時に、赤毛の少年が辛うじて自由に動く左腕を広げ、高音が響き渡った。
 途端、白黒だった周りの風景に色がつき、一時停止を解除されたかのように雑踏が動きを取り戻した。その中でもひときわ異質に、私の周りで人々がざわめく気配がする。
「ちょっと、瀬戸さん! 瀬戸さん!」
 あれは、遠野さんの声だ。私の名前を呼んでいる。返事をしようにも、急速に視界がぼやけて、身体に力が入らない。先程までの痛みは消え、すべての感覚が徐々に失われつつあった。
 意識が落ちていくなかで、近くでユキがしゃくりあげて泣いている声がした。
 ……ああ、最後の最後まで、結局ユキを泣かせてしまった。
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